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Last-modified: 2024-04-17 (水)


[一語一絵]

死刑制度を考える / 2005-12-08 (木)

すでに全世界の3分の2以上の国と地域で廃止されていると言われる死刑制度。国内でも賛否両論渦巻いているのは今さら言うまでも無いが、個人的には「何人たりとも他人の命と自由を奪う権利は無い」という信念に基づいて死刑制度に関しては否定的な立場を取っている。

七五三参り
11/27 筥崎宮参道にて

そもそも殺人犯の命を奪ったところで犠牲者が蘇るわけでもない。もちろん被害者側の一時的な心情としては充分理解できるものの、それによって遺族が救われるのはきっと一瞬であろう。

改めて言うまでもなく過去には冤罪で無実の罪で長く投獄された人もいたわけだし、もしあのまま死刑が執行されていたら取り返しのつかない事になっていたはずだ。

「それでも地球は周っている」との言葉を残したかのガリレオ・ガリレイも立証するように、正義も真実も絶対不変ではなく時の流れと共に移り変わるものだ。このようなリスクを凌駕するだけの説得力のある裏付けを見出す事はできないので、死刑制度を肯定する気にはならない。

というのが基本的なスタンスだったのだが、毎日東京地裁に通っていろんな裁判を傍聴しているという阿曽山大噴火(あそざんだいふんか)のコラム、[External]「【第18回】死刑求刑は当然だよ、反省なき凶悪犯」を読んで複雑な心境になった。

出所1カ月で4つの犯行。1人を殺害、1人重傷という凶悪な犯行。金を得るためだけの独り善がりな犯行理由。
…確かに65才でこれだけ再犯を繰り返してたら、もはや更正の期待をするだけ無駄な気がする。

死刑が求刑されるのは当然かもしれないけど、以前被告人が死刑を望んでいるような発言をしてたんですね。被告人が希望している刑になるっていうことも、なんかなぁ。
いかにも同感で釈然としないのだが、コヤツを日々生き永らえさせるのに貴重な血税が使われる方が釈然としない。

その分、痛ましい事件に巻き込まれる子供達を守る方向を手厚くする事ができれば、結果的に被告人の望みどおりになったとしても公共の利益には充分適うと思う。国際的に見てもまだまだ今日を生きていくのに苦労している貧困層は少なくない。

親鸞聖人曰く『善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや』とか、また或は「命は理由隔て無くみな平等」とは言うものの、パキスタンやアフリカで支援を待っている子供達の存在を考えると、どうしようもない犯罪者を国家が何十年も面倒看るという制度にも不条理な印象を否めない。

さて、いわゆる地下鉄サリン事件などで殺人罪に問われ、1審で死刑が言い渡されている麻原彰晃被告。そもそもが首都に毒ガスを撒いて国家転覆を謀るような犯罪を考える時点で一般的にみて「正常じゃないだろう」と思うのだが、精神崩壊の度合がどんどんエスカレートしているらしい。

もし「訴訟能力が無い」と判断されたとして周囲はどうするんだろうか?病院に入れて治療するのだろうか?確かに事の中心にいた張本人の口から真実を聞きたい気持ちはあるが、それが期待できないのならばわざわざ治療費を使ってまで生かしておく必要があるのだろうか?

積極的に死刑制度を推進するつもりはないが、かといって全面的に否定するのもどうかと。とても悩ましい問題だ。

【参照】
●日刊スポーツ http://www.nikkansports.com/
麻原被告三女「父は正常ではない」 2005年11月28日
阿曽山大噴火の「裁判Showに行こう」
●MSN毎日インタラクティブ http://www.mainichi-msn.co.jp/
強盗殺人:渋谷駅員銃撃/横浜中華街強殺 熊谷被告に死刑求刑--東京地裁公判 2005年12月2日