なんてこったい。思いも寄らぬ悲報に何とも言葉が無い。
ヤマハWebサイトより |
ワイルドカードで出場した1994年の日本GP。シュワンツ、ドゥーハンらのトップライダーを押さえて残り3周で転倒するまでトップを走ったセンセーショナルなデビュー戦は今でも忘れられない。
9月4日に岡山国際サーキットでの練習走行で沼田憲保選手が事故死、スポーツランドSUGOの事故に遭った奥野正雄選手が9月26日に亡くなり、ここ1ヶ月余りで3人のレーサーが命を落としている。
もちろん、原因はそれぞれ異なるレースイベント中のアクシデント、一般道の交通事故であり一緒くたにするつもりはさらさら無いのだが、ものすごくイヤな感じだ。
読んだ限りで最も詳しかったnikkansports.comの記事によると
事故現場には生々しい跡があちこちに残っていた。7日午後6時20分ごろ、片側2車線の市道の走行車線を走っていたトラックが突然Uターン。そこに追い越し車線で500CCのスクーターで走っていた阿部さんが突っ込んだ。衝突を避けようとした阿部さんは大きく右側にハンドルを切り、スクーター左側面を擦るだけで切り抜けたが、トラック前部のバンパーに引っ掛かった。阿部さんは約20メートル、スクーターは約40メートル飛ばされた。という事だが、奥野正雄選手のお兄さんの話によると、ノリックがスクーターを入手したのは9月26日だったらしい。運がいいとか悪いとかで片付けたくはないけれど、そう思うしか無い今回の事故はあまりに悔し過ぎる。
逆車線の歩道近くに倒れた阿部さんは、駆けつけた救急隊と警察官に名前を告げ「職業は?」と問われると「ライダーです」。世界的に有名なライダーと知らない救急隊員から「アマチュアですか?」と尋ねられ、「いや、プロライダーです」と答えて市内の病院に運ばれ、それが最後の言葉となった。
事故で折れたろっ骨が動脈を損傷したことで容体は急変。午後8時52分に帰らぬ人となった。乗っていたスクーターは9月に購入したばかり。公道ではバイクに乗らず、愛車のフェラーリしか使っていなかったが、この日は距離的に近い横浜市に所用があったため、手軽なスクーターを使ったようだ。
一般道の交通事故では被害者になるも加害者になるも紙一重。自らも厳しく肝に銘じておきたい。
ノリック、安らかに。
【参照】
●nikkansports.com http://www.nikkansports.com/
┣ノリックが交通事故死、トラックと衝突 2007年10月8日
┗事故死ノリックにファンの悲しみ募る 2007年10月9日
●小林ゆきBIKE.blog http://yukky.txt-nifty.com/bikeblog/
┗阿部典史選手・関連情報まとめ 2007年10月9日
●MFJ SUPERBIKE http://www.superbike.jp/
┣沼田憲保がテスト中のアクシデントで逝く 2007年10月1日
┣闘病の末、奥野正雄が天に召される 2007年9月5日
┗ノリックが、まさかの事故死 2007年10月8日
●ヤマハ発動機株式会社 http://www.yamaha-motor.co.jp/
┣沼田選手のご冥福をお祈り申し上げます 2007年9月5日
┗阿部 典史選手の訃報について 2007年10月8日
●Wikipedia http://ja.wikipedia.org/
┗阿部典史
●Norick Abe Official Website http://www.norickabe.com/
●奥野正雄オフィシャルWEBサイト http://wave-motion-ltd.com/masao-okuno/
●不死鳥伝説。- 沼田憲保OFFICIAL BLOG http://www.phoenix-numata.com/