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北海道 2001夏

2001年8月3日(金)

予定は未定

本来ならば今夜22時の直江津行き九越フェリーで博多港をスタートし3年ぶりの「みちのくひとり旅」のつもりだったのだが、あいにく今日まで関東に出張となった事から今夜のフェリーでの出発は諦めざるを得ない状況になってしまった。

まぁ、10連休なので一日くらいの足止めならどうって事ないのだが、残念な事に九越フェリーは月・水・金の運航なので次の便は3日後。さすがにこれは痛い。取り敢えず阪九フェリー神戸まで行ってあとは高速飛ばして…とか考えていたら、神戸まで行けば舞鶴から新日本海フェリー北海道に渡れる事に気が付いた。早速新日本海フェリーのWebサイトで空席状況を確認。新潟敦賀航路は満席だが、時間がかかる舞鶴航路だけはまだ空席があった。

さて舞鶴まで福岡から650km。高速を使えば8時間あれば行けるので昼頃出れば土曜の23時30分出港に余裕で間に合うのだが、\10,450という高速料金を払った上で暑く疲れて退屈な8時間耐久走行はツーリングのオープニングを飾るにはふさわしく無い。やっぱりせっかくの休暇なので、のんびり丹波路を探訪するべく阪九フェリー神戸まで行く事にして、日曜夜舞鶴発の便に決めた。

「決めた」はいいが、朝9時きっかりに新日本海フェリーの予約センターに電話するがいっこうに繋がらない。ピーク期間の発売日前後ならいざ知らずこの時期でも繋がらないか…と呆れながら、舞鶴、新潟、小樽のフェリーターミナルへ順に電話しまくった結果なんとか往復の予約を済ませ、最大の難関を突破した。阪九フェリーは予約無しでも大丈夫だろう。

仕事の方も無事に一件落着し、20時に福岡空港に到着。ターミナルビルから出た途端、蒸暑さにウンザリする....。

家に帰ったら大慌てで片付け&荷作りをしながら洗濯を済ませ、就寝したのは日付が変って午前2時。ふぅ〜やれやれ....。

2001年8月4日(土)

開幕

出港シーン(dscn0003.jpg)
18時41分 福岡県北九州市、新門司港にて

8時過ぎに目覚めると既に汗だく。せっかく洗濯を済ませたのに結局洗濯物が残ってしまった。昨夜干しておいた洗濯物を取り敢えず取り入れ、あとは最終荷作りに精を出す。

今回はバイク用のシートバッグを用意した為、いつもと勝手が違いなかなか落ち着かない。あれを入れこれを出ししている内に何となくコツを掴めてきた。要は出し入れし易いよう区分けしてできるだけ縦に入れておけば良い事に気付いて一件落着。サイドポケットに雨具と眼鏡類を、トップにデジカメを入れて万事OK。DynaBookを持って行くかどうかでかなり悩んだが、結局持って行かない事にしてCBのリアシートに大人しく鎮座させる。

いつものように筥崎宮に寄って道中の安全を祈願したあと、正午にスタート。お馴染みR3を60kmほど東進して戸畑の実家に到着。それにしても暑い。やっぱり昼間高速移動で今夜の舞鶴発にしなくて正解だったと胸をなで下ろす。

軽く昼寝を挿んで、少し涼しくなった17時過ぎに再び出発。R199新門司港まで30分で快走し、18時前に到着。

乗船を済ませると真っ先に風呂で汗を流した後、デッキでしばらく夕涼み。と目論んだが、九州はまだまだ日が残っていて暑い。(--;;

見送る者あり、見送られる者あり、物思いに更ける女性あり、冷静に観察するYANOあり。いろんな人の思いを載せて、定刻18時半に離岸。母なる九州に別れを告げた。何はともあれ、旅立ちの雰囲気としてフェリーに勝るものはない。

阪九フェリー TEL:093-481-6581
2等自由\5,580(燃料油価格変動調整金\200を加えてJAF割引10%)/二輪車(750cc未満)\3,900 

船内にもどると高校運動部の団体でごった返していた。熊本で開催中の高校総体の帰りだろう。ちょうどJリーグはオールスター戦の開催日でもありサッカー部の連中はたむろして邪魔くさいし、相撲部の巨漢は通路ですれ違うのに苦労した。

そんなわけで、夕食を済ませてしばらく地図を眺めた後は、耳栓をして大人しく寝た....。(-_-)zzzz

本日の走行距離 76km

撮影:NIKON COOLPIX 800

持ち物メモ

サンダル フェリーでの履き替え用(スリッパでも良いが夏のデッキは熱くなるのでサンダルが◎)
耳栓 ユースやフェリーなど相部屋での安眠の友。でもちょっと慣れが必要かな?
針金ハンガー 上着をかけるのはもちろん、濡れたタオルを乾かしたり、故障時の応急処置にも使える

明日への扉


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