連敗街道爆走中のハルウララ。名手武豊をしてもブービーに甘んじたという事で、そろそろ日本人特有の判官びいきも限界かと思いきや、逆に留まるところを知らない様相。
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3/21 熊本県小国町西里にて |
まぁ中央競馬に比べて全ての面で厳しい経営状況が続く地方競馬において、降って涌いた救世主という存在にケチをつけるものでは無い。故障もせずも永きに渡ってレースをこなしているというのはある意味立派な事だと言えなくもないし。
ただ「次こそ勝って欲しい」と応援するのではなく、「負け続けても一所懸命走っている姿に感動した」なんてのは失礼千万ではなかろうか。騎手が落馬しても本能的に走り続けると言われる競走馬、どの馬も一所懸命走っているに決っている。自分がハルウララの立場だったら「負け組の星」などと呼ばれるのは甚だ迷惑だ。
「負け組」と言って思い出すのはタイムボカンシリーズの悪玉トリオ、通称「三悪」。しかし彼らとて毎週毎週負ける事に大人しく甘んじていたわけでなく、勝利の為に全知全能をかけてメカを作っていたのである。ただ悲しいかな勧善懲悪の世相において「正義の味方がよもや負けるわけにはいかない」という不条理において辛酸を舐めざるを得なかったわけで、かくして1982年9月4日On-Air 『逆転イッパツマン』第30話「シリーズ初!悪が勝つ」において悪玉トリオが唯一の白星を上げた暁には、敵ながら天晴とファンも思わず目頭を熱くしたモノである。
さてハルウララに騎乗した武豊自身も3月8日の日記で
競馬が、競馬をよく知らない一般の方の話題になって盛り上がることについては大いに歓迎なのですが、生涯で一度も勝ったことがない馬が、GIレースを勝った馬達よりも注目を集める対象になるというのはどうにも理解し難いものがあります。
と、納得いかない気持ちを正直に書いている。「どんな手を使っても勝ちさえすればよい」とは言わないまでも、全てにおいて結果がモノを言うレースの世界。当然だろう。
特に最近のハルウララ騒動をみていると、判官びいきと呼ばれるような悲劇的な弱者に対する心温まる同情ではなく、自分と同じかまたはより不幸な存在に対して自己の優位性を確認する事で安心感を得る。そんな後向きで情けない社会風潮である気がしてならない。
「日本の社会全体が病んでいるという」言い方で責任転嫁するのは簡単だが、恥ずかし気も無く「負け続けて欲しい」、「負け続けても頑張っている姿を見て励まされる」などとコメントしてた中年男性。終わってるよ....
【参照】
●武豊オフィシャルホームページ http://take.nifty.com/
┣その日、楽しみにしているのは黒船賞のノボトゥルーの騎乗なのです。 2004年3月8日
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