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Last-modified: 2024-05-07 (火)


[一語一絵]

ローカル対グローバルの構図 / 2002-05-04 (土)

続けて離島を旅してみて気付いた事がある。それはこれだけ交通や情報メディアが発達した現在でも、離島には未だにその地域独特の島社会が存在するという事だ。これは沖縄には沖縄の、小笠原には小笠原の社会があるということを意味する。

ハイビスカスの咲く路
4/14 波照間島にて

沖縄(八重山)の島社会は閉鎖的だと言われる。もちろん観光客に対しては「めんそーれ」という言葉を持って暖かく歓迎して貰える。波照間の民宿たましろの食事が常人には喰えないほどのボリュームなのも「目立った観光施設も無い小さな島に遠くから足を運んでもらったお礼に腹一杯食べてほしい」という歓待の気持ちの表れだと言えよう。

しかしその優しさはあくまでもお客だからこそ。内地から移住してうちなーになるというと話は別で、3世代くらい続けて定住するまで地域社会ではよそ者扱いされてしまうという。こういった閉鎖性が新しい産業が根付かず失業率が改善されない遠因でもあるような気がするのだが、「琉球王国と中央政権の対立」「第二次大戦」「戦後処理」等という背景と無縁ではないのかもしれない。

逆に小笠原では移住した時期によって在来島民、旧島民、新島民、観光島民という言葉があるらしいが、特に滞在中にそのカテゴリーを意識する事も閉鎖性を感じる事はなかった。つまり沖縄の島社会とは違い、何世代も住んでいる島民と返還後に移住してきた1世代目の島民も渾然一体と包み込む社会が形成されているという事なのだろう。最初に欧米系の在来島民が住み着いてから300年余という歴史の短さ、そして早くから幕府など本土から管轄された事によるのかもしれない。また比較的公務員の比率が高い事もあって2〜4年で入れ替わる島民が多いという事もあるだろう。

時間距離として東京から25時間を要し沖縄よりも遥かに不便な僻地である小笠原だが、社会としての洗練されたしなやかさでは沖縄を凌駕しているという事実は予想外だった。

父島のメインストリート、湾岸通り
4/21 小笠原・父島にて

しかし一方で小笠原では日本でも他に例を見ない特異な時間が流れている。それは全てが「おがさわら丸」のスケジュールを中心に動いているという事だ。つまり観光客だけでなく、生鮮食品はもとより郵便や新聞に至るまで住民の殆どの生活物資が「おがさわら丸」で入荷する為、人も物資も溢れお祭り騒ぎのような「おがさわら丸」入港日がすべての基準となる。逆に出港日から入港日にかけては打って変わったような静けさに包まれる。国の機関と言っても過言ではない郵便局も含めて法定休日である土日や祝祭日よりも「おがさわら丸」の動向が優先されるのだ。

新聞は入港翌日に1週間分がまとめて配達される。ちなみにTVは東京23区で見られる地上波チャンネルは通信衛星を経由してOn-Timeで観られるので、新聞購読者がどれくらいいるのかは疑問。雑誌も下手をすれば1週間遅れなので、2週間分のTVガイドの存在意義も微妙なところだ。パンは店頭に並んだ時には賞味期限が過ぎている事もある。ここでは流通業界を席巻したコンビニの物流革命も通用しそうになく、現にコンビニは存在しない。ま、波照間にも無かったけど。

いろんな分野で内外を問わない大規模統合が進み、国内・地域独自の展開が困難になりつつある昨今。生き残る為には世界メジャーにはできない地域に根ざした独自性・付加価値を確立するしかないのかもしれない…などと思ったり。

4月中旬から波照間小笠原、そして宮古与那国と続く島旅3部作。特別な思惑や主体的な意図は全く無かったのだが、何かしらの見えない力が働いているのかもしれない。な〜んて雨音と共に『あなただけを〜SummerHeartbreak』by Southern All Starsを聴きながら思う今日この頃。